実在しない刀推し審神者の新作感想

刀ミュ新作つはものどもがゆめのあと

初日公演観てきました。

以下ネタバレでしかない感想を、ツイッターで呟く訳にもいかずこちらに記します。





かなり偏った意見だと思うけど、1度観た限りでは、そう受け取ってしまった、という感想です。


1部が終わった瞬間、言い表せないもやもやっとした気持ちになった。一番近い言葉では、悔しい、が当てはまるような気がする。


三日月が影で人の心を操っていた。それは、考えもしなかった衝撃事実でショックでした。例えばこれが刀ステであれば、そこまでショックを受けなかったかもしれない。鈴木さんの三日月ならやりかねない、くらいに思っていたかも。私は刀ミュの三日月だから、ショックが大きかった。


ただ、阿津賀志で遡行軍が義経公を操っていたのは、刀剣男士にも同じような力がある、という事だったのかなと。もしくは、あそこでこういう力の使い方もあると知ってしまったのかも。

刀ステ1では宗三が明智を殺した場面、検非違使と同じ事をしていることに、ものすごく悩みました。そして今回の三日月が歴史を守るために遡行軍と同じように人を操っていた。遡行軍と刀剣男士になんら違いはない、という所へストーリーを集束しようとしているのかもしれないと感じています。(よく創作にある、遡行軍は元刀剣男士説とか)


三日月さんからすれば自分がやらねば誰がやれる、誰にも出来ないだろう、そうしなければ人の心一つで変わる歴史を守るのは容易いことではないのだという諦めがあるのかな。

諦めというか、他の刀剣男士や審神者のことも、本当の意味では信頼していないからの行動だろうな、と。存在していない刀や現代に生まれた審神者を心の中では下に見ている、ように受け取ってしまいました。それだけ誰よりも長い歴史の中を生きて、見てたのだから、もちろん当然の事だし、審神者といる時間なんて今までを思うとあまりにも一瞬で。


存在しない刀は、物語の中で現実の人の醜い部分なんて知らずに生きてきたのだろう。だから実際には審神者は己にとってある意味唯一の主であり、絶対の存在と信頼できるのだろう、呑気なものだ、と感じるのも無理はないです。曇らせたくは無い、という気持ちはきっと本当だけれど、自分にしかどうせできない、周りの、審神者の力を信頼できないんだろうなと感じました。

もちろん、本丸に愛着があり、歴史を守るために判断した行動ではあるけれど。


繰り返し出陣する=ゲームの周回かな?

何度も同じ時代へ行っても、毎回同じようにはいかない人を見て、誰も知らない史実が真実では無くてもいい、そう知ってしまった三日月。今回義経と弁慶を逃しても、次に出陣した時は自害するかもしれない、遡行軍に殺されるかもしれない。泰衡がとどめを刺すかもしれない。そんな立場で自分だったら何が正解か分からなくなりそうです。延々と同じ事を繰り返す、神様とはいえその精神が壊れてもおかしくない作業。


史実の大筋が合えばいいってのは、前回のみほとせをすごく肯定していると思いました。あのメンバーで無ければ、対応方法は変わったかもしれないけど。みんな死んでしまっても重要な人物さえ存在させ史実通りに進めばいい、と。


なんというか、本丸のこと、三条派のこと、すごく大切に思っての行動だっていうのは重々承知しています。でももし歴史が変われば、人である審神者が生まれない歴史にたどり着く事だってあるのではないかと怖くなる。付喪神として存在しない刀も出てきうるのではないかって考える。大筋は変わってないから、結局現実に影響出る事は無いんだろうけど。(電王で過去のトラブルが現在にすぐに影響するイメージが強くあるから、その可能性を考えてしまう😔)


今剣は岩融のために子どもらしくいるのではと諭したり、みんなの事をすごくよく見守ってくれている三日月だからこそ、人を操ったりしてほしくなかった。存在しない刀を線引きするような姿が苦しいです。


個人的にゲーム内の源氏兄弟は苦手意識あったのですが、ミュの髭切に関しては、三日月寄りの位置にいるけど、どっちでもいい、っていうスタンスが私的には良かったです。三日月の気持ちはすごく分かる。だけど、名前とか実在するかどうかとか、どちらでもいいんじゃないかなって言ってくれる事に救われました。もっと意地悪なお方かと思い込んでたよ…ごめんなさい。


今から2回目見て来ます。そして3.4......と見続ければ、見方が全く変わるかもしれない。

否定的(なつもりでもないけど)事ばかりではなくて、最推し今剣に関してはすごく良かったです。

ほんとに。阿津賀志後から成長したんだなって、前向きに歩き続けていたんだなってことが冒頭からも分かっただけで嬉しかった。

ラストも、義経公が逃げた事で真相がわからないからこそ、今剣という刀が自害に使われたと伝えられたのかもしれない。真実なんてわからないからこそ、人々が望む姿で義経記が生まれたのかも。なんとでも考えられます。

膝丸が今剣の知ってる義経を聞きたいって言ってくれたの、すごく嬉しかったです。そう、これからも確かに、今剣は義経公の守り刀であるという事を再確認しました。